カンガエゴト・オモウコト

かわいい笑顔をしてくれているのが幸せ。

メメント・モリ #グリーンマイル をみて

私の楽日が終わったので、感想を書こうと思います。ネタバレがあるかもしれないので、もしも危険を察知したらぜひ皆様も楽日を終えてから読んでいただけたら幸いです。

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私は、中高プロテスタントの女子校に通っていた。グリーンマイルを見たとある日、2列後ろに見覚えのある制服の女子高生がいて(その制服は高校のだったから)懐かしいなあと思うとともに、グリーンマイルで感じたことを彼女はどう感じたのだろうとふと思った。

私の学校のキススト教らしいことは、朝の会は礼拝形式。帰りの会のお祈りはする。そして音楽の授業や合唱コンクールでは讃美歌を歌うし、クリスマス礼拝は全校生徒でハレルヤ合唱するし、キリスト教の『聖書』という授業があった。

 

それ以外は、普通だったけれどもやっぱりホールには大きな十字架がかかっていたし、それなりにキリスト教を感じる中高生活を6年間送ったような気がする。

 

帰国子女が学年に50人ほどいたけれど、洗礼を受けている者は学年に1~2名しかいなくて大体無宗教だったけれど、そんなキリスト教の日々を送った。もちろん私も無宗教だし、教会も通えと言われた数回レポートのためだけに通ったレベルである。

すっごい不真面目な生徒だったけど、聖書の授業は割と好きで数学とか化学に比べたら聞いていたような気がする。

 

その中で、1番覚えている話しが”メメント・モリ 死を覚えよ”という授業だった。確か高2だったような気がする。

私なりの解釈で色々と省いて話すと、神様は人間に命を与えたけれど、最後に与えたのは”死”だった。理由は、重荷を背負いすぎたまま生き続けるのは辛いから。だから”死”を与えたという話だった。

 

当時の私には衝撃的で、すごくすごく考えてしまった。

確かその当時の数年前にミスチルで”花・MEMENT-MORI”*1

という曲が発表されていて、それが頭を過ったけれどそれも含めてとても衝撃的だった。

中高生の他愛もない話の中で何も考えずに”も~つかれた~~~!”と同じ意味で”死”を使っていたような当時に、そういう意味で与えられたものだったのかと知った私には本当にびっくりしてびっくりして。

そんなに深く考えるタイプの人間ではなかったし、正直超楽観的だったし、ギャルになりたかったけどなれかった真面目な学校に通っていていた私には、”人間の生きる先にある死”はそんな神様の想いがあっての”死”なのかと思って、震えるような衝撃だった。

 

当時学んだ中で、最も考えたキリスト教的倫理観だった。

 

とは言え、やっぱり私はていたらくなタイプの人間だったからそれ以上のことは考えたり、突き詰めようとはせずに高校卒業とともにキリスト教にそこまで触れることがなく、そうこうしているうちに忘れ、そして時々思い出し、また忘れ今日まで生きてきた。

 

そして、グリーンマイルをみて久しぶりにポールが受けた生を見て、この話を思い出した。あの日の衝撃を再び感じる日となった。そして、ポールのセリフに胸がぎゅっと掴まれたような、背筋が凍るようなそんな感覚を受けた。

 

私は感情移入をあまりしないので(というかとても稀薄。。。)感情の波に包まれるというタイプではないけれど、今回は”民主主義と死刑制度”として”死”について考えるきっかけとなった。(もちろん答えはでない。)

 

グリーンマイルはミュージカルや舞台をそう多くみない私にとっては、とてもわかりやすくて理解しやすい舞台だった。これはきっとこういうことをいっているんだろうな。という感覚的な”伝えたいこと”ではなくて、はっきりと伝えたいことを理解できるような脚本や演出、そして演技になっていて、私はとても好きだった。

 

毎度ではあるがこうやって演技の場があることはファンにとってもジャニーズにとっても凄くよい機会だと思っていて、こういう環境が整っているのってやっぱり凄いことだなあと思った。

 

同じ舞台を同じ学校に通っている現役女子高生と私が見るのも、”年齢だって〇〇歳も離れているのに、すごい事だなあ。同じ授業を受けたとしてどう思ったんだろう”なんてあの日に思いを馳せる秋の夜だった。

 

素敵な舞台をありがとうございました。どうか、千穐楽までカンパニーが何事もなく無事で走り抜けられますように。

 

 

*1:Mr.Childrenの11枚目のシングル。1996年4月10日トイズファクトリーより発売