カンガエゴト・オモウコト

かわいい笑顔をしてくれているのが幸せ。

ジャニーズと私 中学時代

小学校のジャニーズ暗黒時代(と呼ばれているようですが)も普通に好きで、SMAPの番組をよく見ていた私が、明星とドラマに出会います。

 

そして、SMAP黄金期が始まるとともにSMAPが大好きになっていきます。

当時香取慎吾さんが好きだったけど、あすなろ白書であの後ろから抱きしめる感じの木村拓哉さん、小学生の私でも見てはいけないものを見てしまったうしろめたさ感と高揚感忘れられません。ドラマもよく見ていてロングバケーションラブジェネレーションと当時の私にはかなり大人ではありましたが、木村拓哉さんのあのなんていうか大人の男感にも間違いなく心が奪われていたと思います。

 

黄金のフジ月9時代みてましたね。かなり。

そのあと、SMAP×SMAPという私にとっては夢のようなTVタイム。

そうこうしていくうちに森且行さんが引退します。涙のSMAPでは一緒に泣いたり、むしろ涙の練習までしていた幼き私。コンサートも当時VHSだったんですが、見まくりましたね。何度も何度も擦り切れるかと思うほどに見ていた私。

 

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これを見ていましたが、もちろんDVD発売されていますね。今は。

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その間のTOKIOの記憶は歌はあるのですが、他があまり覚えていません。

 

また元気が出るテレビジャニーズ予備校岡田准一さんのデビューを応援するようになります。95年にV6がデビューします。この時のMyojo買いましたね!!

 

そしてそれと同時期に黄金のJr.期が始まります。愛ラブジュニアや8時だJといったジュニアメインの番組がでてきます。

このJr.期がはじまったころから、本当に烏滸がましいのですが私ジャニーズをとても親近感を持って、今でいえば読者モデルのような感覚でジャニーズを感じるようになってきます。

 

というのも、愛ラブジュニア収録前だったのか、タッキー&翼滝沢秀明さんと今井翼さんにテレ東で私がモー娘。(もちろん1次選考で落ちた)オーディションを受けに行ったときにばったり会って話をしたり(当時はゆるかったのかしら)出来たりしていたのです。

そして、友達の友達にジュニアがいるということが多くて、実際ジャニーズより私は東京ストリートニュースに出てる読者モデルに憧れたりしていたので、なんというか今よりすごく勝手に親近感を抱くようになります。

 

中学生時代(私は都内私立女子校でした)は、私ギャルに憧れていてジャニーズ好きだけどそれより憧れの読者モデルという存在があって(東京ストリースニュース全盛期、妻夫木聡さんとか押切もえさんとかでていました。)渋谷に毎日行っていましたが、とにかくそこでジャニーズに会うことが多かったのです。後に国民的スターとなる櫻井翔さんも制服姿の頃に会いました。それでも当時の私は、ジュニアのさくしょーだ!みたいな。

今となっては後悔しかありません。(なぜか当時さくしょーと呼んでいました。)

櫻井翔さんもこれがまた友達の友達だったということもあり、勝手にとにかく親近感がある時代でしたので、そのころもあれだけ見ていて、あれだけ歌もテープなりMDなりに録音してCDもちっさいサイズのシングル買っていたというのに、ここでも自分はジャニーズがとりわけ誰よりも好きだということに気づいておりませんでした。

今思えば、部屋はジャニーズだらけ。下敷きはジャニーズの切り抜きだったんですよ。それでも気づいてなかった。

 

 

これが私の中学時代。。笑

 

なんていうか超絶烏滸がましいのですがジャニーズはとても近くに感じ、そしてそれなのに読者モデルを崇拝し、渋谷に出歩いてはギャルになりたくて・・・1995-9時代でした。なぜなら熱狂的ファンが私よりたくさんいたんです。

 

私はただのミーハーという位置に所属していたと思います。多感だったので、何でも齧ってたくさんTVも見て、ある程度時間も費やしていたにも関わらず、皆も好きで私も好きというレベルだと勝手に思っておりました。

あと、言葉として『ジャニーズが好き』という言えるほど、自信がなかったというか周りも皆好きでファンクラブや追っかけをしている子が多い女子校だったため、自分レベルは他の子と同じくらいの好きという印象だったんです。

 

同じ部活内に25人中7人くらいジャニーズのファンクラブ(V6メインでSMAPがちらほら)に入っているというイメージの中で私は好きと名乗れるレベルではなかったというのが、当時のジャニーズと私でした。

今思えば、充分そうだったのかもしれませんが、このときもまだいわゆる潜在顧客時代です。

 

私の潜在顧客時代は長く続きます。笑